怪物の感想文の感想文

映画「怪物」の感想文の感想文と、この作品の好きなところを書き綴る回。

※ネタバレを気にせずに書いているので未観の方はご注意を。

 

 

この映画の考察的な感想文は別のブログで書いたので、ここでは日記を綴る心持ちで作品の好きなところを書き出していこうと思う。

 

まずはキャストの素晴らしさについて。

 

私の中に最も濃い印象を残している映像は、湊の動揺だ。

湊役の黒川想矢さんの演技には痺れた。
彼の演技の中で一番凄みがあったのが、湊が動揺を露出する場面。
病院帰りの薄暗い道での母とのやりとりや、図工の授業で依里と雑巾を取り合うシーンなどで、湊の中に蟠るうまく解決や発散することができない苦しみが素晴らしく表現されている。

病院からの帰り道のシーンでは、それまでは怖いくらいに落ち着いているというか、ぼうっとしているように見えた湊が、母に耳(と髪)を触られそうになった瞬間、何かがプツっと弾けたように母から逃げ、手に持っていたペットボトルを道に投げつける。私のいた劇場において、このシーンでポップコーンを口に運んだ人は0だったんじゃないか。湊が急に感情を露わにしたときの緊迫感は劇場内に伝播して、あたかもスクリーンの内と外の空間が繋がってしまったかのように、皆息を殺してこの親子を見守っていた。

図工の授業で起きた喧嘩のシーンはCMでも使われている有名なカットだ。
あの時の湊と依里の表情は、観客の心を切なさでちぎってしまいそうなほど、こちらにアピールするものがあった。美しいという言葉がここにはまらないのなら、芸術的だと言うほかない。あらゆる方向に引っ張られ、繊細微妙なバランスでそこに張り詰めている湊の精神がスクリーンの中に見えた。

 

依里役の柊木陽太さんも、正に依里そのものになっていて素晴らしかった。
これは黒川さんにも言えることだけど、役を演じているというより、そのものになって映画の中で生きている感じ。

星川家のインテリアや服のテイストのことを何と呼ぶのか知らないのだけど(ナチュラル系?北欧風?)、お洒落なオーバーオールスタイルもよく似合っていた。キャラクターのように可愛らしい姿で身軽に跳ね遊ぶ依里の姿に、彼を取り巻く問題の暗い暗い影は見受けられない。辛いことがあっても抵抗しない、感覚をオフにしてやり過ごすだけ。そんな諦観と無抵抗さが、依里の軸が定まらない歩き方にまで表れているようだった。

 

 

私はドラマ「ゆとりですがなにか」から安藤サクラさんのファンである。

「ゆとり」での彼女のセリフ「今!肉の焼き加減以上に大事なことって何!?※」と彼氏にキレるシーンは一生忘れないと思う。あの愛らしさとしっかりさを兼ね備えたチャーミングなキャラクターは唯一無二。
※セリフが一言一句正しいという自信はない。なんとなくこんな感じのことを言ってたと思います

ここで言及するので大きな記憶違いの無いようにと念のため「ゆとり」をネット検索したら、図らずもこの作品が今秋映画化されることを知って今アガっている。嬉しい。もう予定表に入れておく。

「ゆとり」はさておき。サクラさんは今作においても言うまでもなく素敵なキャラクターを作られていて、湊母には抜群の安定感があった。
サクラさんと湊のやり取りが本物の親子みたいだったのが印象に残っている。特にベランダから火事の様子を見る場面で、湊が柵から身を乗り出すのを制しているところ。ちょっとやんちゃな男の子を持つ母親によくある、少しだけ乱暴な息子の扱い方に既視感を覚えた。多分うちの近所の男兄弟ママに似てるんだな。
サクラさんは映画祭や舞台挨拶、宣伝用動画の中でも黒川さんと親子のように楽しそうにおしゃべりしていて、「本物の親子みたい」という感想が裏付けされたというか、演技上だけじゃなくて本当に仲良しなんだなあと微笑ましく思った。映画作りのためのコミュニケーションというのもあるのだろうけど、サクラさんの子どもたちへの応対にはそれだけじゃない愛情が込められているような感じがした。素晴らしい役者さんは、役の外でも映画を作っているのだなあ。

 

「言うまでもなく」の枕詞付きになってしまうようなことばかりだが、瑛太さんの保利先生も最高だった。
感想文では物語上の人物である保利先生についてしか書かなかったが、ここでは俳優瑛太さんから受けた感動について語る。

息も瞬きも忘れてしまうようなシーンがあった。
それは学校を追い出された保利先生が突然戻ってきて、湊に「俺君に悪いことした?してないよね?」と詰め寄る場面である。これは怖かった。私も湊と一緒になってビビっていた。湊が肯いた後の笑顔も、保利先生にとっては純粋な安堵なのだろうが、湊からしたらジョーカーの笑顔である。この後の展開に強い説得力を持たせるワンシーンだった。

今挙げたような先生人生転落後の姿も印象深いのだが、その前の先生としての保利や、彼女とのやりとりも好きだ。彼女役の高畑充希さんも素敵だった。あのギャル感と、保利先生の人柄にはあまり興味の無さそうな感じが、保利先生の性格と全然マッチしていなくてコミカルだった。

 

田中裕子さんの魅力はそれこそ書くまでもないでしょう、至る所で賞賛されているので。
湊母の怒りを買い壁ドン的なことをされるシーンの、ぽかんとした表情は絶妙だった。校長室には、話をする気が無い人間の無敵感がそこはかとなく漂っていた。

 

 

そして、音楽。

「こういう構成やコード進行によって、作者のこんな想いが表されている」みたいな専門的なことは分からないので感じたことしか書けないのだが、どうしてもこの感動は書き残しておきたい。ちなみに、曲に込められている想いについては音楽ニュースサイトや音楽ブログで解説されていたので、私と同じく坂本龍一氏の音楽に感動した方は是非検索してみてください。

まずは映画の最後のシーンやCMでも流れる曲「aqua」。これを映画館の巨大なスクリーンに映る美しい映像と共に立派なサラウンドスピーカーで聴けたのは本当に運がよかった。この時代に生きていることへの恩恵だ。どこかの記事で「この曲からは生命のみずみずしい喜びが感じられる」というようなことが書いてあって、まさにその通りだと思った。画面から溢れんばかりの光と生命の喜びをエンハンスする音楽。

怪物のサウンドトラックの中にある「hibari」も私のお気に入りだ。天気のいい日に小鳥が跳ね飛ぶような、さえずるような曲。映画を観てからしばらくたった今聴いても、ふたりの子どもが遊びまわる姿が想起させられる。

 

 

 

小説を読んで文章から登場人物の表情や仕草といった表象を想像するのも好きだけど、映画を観て人間の表情や仕草から感情などの心象を読み取るのも面白い。こういった、映画だからこその面白さを存分に味わわせてくれる作品だと感じられたのは、素晴らしいキャスティングと演出のお陰なのだろう。

この前星野源さんがラジオで話していた「自分に影響を与えたベストオブベストの作品たち」について私が語るとすれば、間違いなくこの作品を挙げる。他にはどんな作品の名前を出すかな。
今度「マイベスト映像」や「マイベスト音楽」を題に、好きな作品の洗い出しをしようと思う。

ミニシアターで、私は最悪を観る

会社帰りに映画を見に行ったときの話をもうひとつ。

映画自体の話は少なめです。

 

この日も息絶え絶えにオフィスを出た。しんどいけど、私は映画を見に行くんだ…

疲労疲労を重ねるようなこの暴挙を毎週行事にするかは迷っているが、なかなかにいいものなので、その時々の気分に合わせてポジティブに取り組んでいこうと思っている。

 

14:00くらいまでは映画に行くかかなり迷っていた。もうすでに帰りたいのに、帰る時間をぐっと遅らせるなぞ愚行ではないかと。しかし私はいつまで東京にいるか分からない。じゃあこの都会で働くメリットを私の想像力の及ぶ限り楽しむのが正解だろう。持っているものの良さを最大限享受したいと思っている。

 

お目当てのミニシアターを目指して、新宿の外れを歩いていく。初めてのミニシアター。わくわくだ。ずっと憧れていた、こじんまりしたローカル感のある映画館での観劇が遂にかなうかもしれない。「高円寺↑」という案内標識がたっている大きな道路の脇を歩きながら、私を待っているチャーミングな映画館との出会いに想いを馳せる。
そんなメルヘンな頭の中と相容れぬ様相の歓楽街に侵入する。

新宿駅周辺の路地には腐臭が立ち込めている。ひしめき合う飲食店、建物と建物の隙間にはゴミ置き場、蒸し暑さで地面から湧き上がるような腐敗臭。それをものともせずに回遊する人々。会社帰りのような服装の人はまだ少なく、学生かショップ店員かと思われる華やかな人間が歩き回り、ガラの悪いにいちゃん方や警備対象が不明な警備員たちが駐屯していた。

しばらく路地を彷徨い歩いた後、目的地に辿り着き、その魅惑の地下シアターへの入り口を見て私の冒険心は湧きたった。でもカルチャー人間気取りとは思われたくなかったから、入り口で感慨に浸る時間は設けずさっさと階段を下りた。

 

チケットカウンターのお兄さんに「『私は最悪。』の20:40からのチケットください」と告げると、お兄さんはほぼ埋まっちゃってますねえと、客席の左側にまばらに3席だけ空いている図をモニターに映して言った。スクリーンが右寄りに設置されているため右側に人が集まっているのだという。左側の席の一部は、壁に阻まれてスクリーンがちゃんと見えないそう。私は空いている中で一番右寄りの席をとった。

 

映画館までの道でたくさんの喫茶店を見かけたので(そのほとんどがチェーン店だったが)、そのうちのどれかに入って上映時間までの暇を潰すことにした。

まず、その風貌を見た瞬間から第一希望に決めた、とある喫茶店の様子を見に行った。赤レンガの外装とショーウィンドウの中に見えた緑色の液体に私のこころはわしづかみにされたのだった。
映画館への道すがらこの店の前を通った時、私と同じ年恰好の女性がこの喫茶店のドアまで行って、張り紙を読んでから立ち去ったのを見た。それが気がかりだったので私もちゃんと張り紙を読んでから入店しようと思っていた。
店前の階段を上り、ドアの前に立つ。張り紙には「喫煙家のための店です」と。
私もあの女性と同じく険しい顔をして立ち去った。30分くらいの時間つぶしだったら入ったかもしれないけど、2時間煙の中にいることはできないかなあ。映画館は匂いが籠るしねえ。

第二希望は3店あり、全部チェーン店。

もうどれでもよかったので、一番最初に目に付いた珈琲店に入った。
赤レンガの階段を上り店に入ると、想定外の賑わいに田舎に帰りたくなった。一名様なのに四人席、クッションのない硬い椅子、しかも入り口の正面で入店客全員の目に留る。ああ嫌だと思いつつも、15分程悩んだ末にハヤシライスセットを頼む私は肝が据わっている。
「小さい席が空いたらそちらに…」と店員さんに声をかけるも、私が店側に気を遣っていると勘違いされ「いえいえそのままで大丈夫ですよ」と言われ撃沈。恥も外聞も捨てて、私はTwitterを繰りながらハヤシライスうめえとバクバクやった。

私の隣には30過ぎくらいの男性と若いギャルが、私の斜向かいには30手前の男女が、私の正面には老夫婦が座っていた。

ギャルはEXILE風の男性に「痩せたいけど痩せられない」「垢抜けるにはどうしたらいいか」などのよくある当たり障りのないトークを、ただ時間を埋めるためだけのように放っていた。この男性はバイト先の店長だろうか、それともパパだろうか、彼はきっと人生でこの話を何十回、何百回と聞いて来ただろうし、これからもギャルとの会話はこの繰り返しなのだろうなと思った。

斜向かいの男女の会話からは「契約が…」「海外では…」という単語が時々聞こえてくるのみで会話の内容は全くつかめなかったが、彼らは都心の喫茶店によく出没するというマルチの勧誘なるものなんじゃないかと想像している(あくまで想像である)。二人とも何か資料を読んでいて、男性は「契約」という言葉を何度も使う。女性はあまりしゃべらない。彼女が悪いことに巻き込まれていないことを祈る。

正面のおじいさんおばあさんには動きがない。会話もない。休んでいるだけのよう。

私が入った時には満席だった店内も、食べ終わったころにはぽつぽつ空席ができていた。20時近くになるとみんな居酒屋に行ってしまうのか。店員さんが私に4人席のままでいいよと言ったのも、あと数十分もすれば空いてくることを見越してのことだったのかもしれない。

私はセットのアイスコーヒーをちびちびやりながら、祖父母宅から持ってきた「海と毒薬」を読む。電車の中では酷く焼けて黄ばんで見えるこの本も、セピア色のここでは普通の本の色。1時間は読んでいたはずだが、全然進まない。純文学は一言一句こぼさず読み取らなければいけないという強迫観念があり、一ページの中を行ったり来たりしてしまう。

 

上映時間の20分前に喫茶店を出て、映画館に向かう。
カフェインでくらくらする頭をなんとか首の上に据えて地下に潜ると、チケット販売所兼待合室の空間にはたくさんの人がいた。連れ合いで来ている人は少ないようで、間を開けてベンチに座っていたり、映画のパンフレットを手に取ったり、壁に貼ってあるポスターの写真を撮ったりと、皆思い思いに行動していた。

シアターの内装は、映画館というよりも芝居用の劇場という印象を受けた。
スクリーンがあまり大きくないためか、小規模シアターにありがちな急斜面ではなく緩やかな勾配に赤い椅子が並んでいる。楽器屋に売っているような三脚付きのヤマハのスピーカーがスクリーンの両脇に立っているのも、芝居やお笑いライブ用の劇場に見える要因だろう。
赤いベルベットの椅子は、座るとふかっとした。入ってくる人は学生から社会人、パートのおばちゃんという感じの方まで年代は様々(15禁だったので子供はいなかったが)。映画の内容的に女性客が7割といった感じだった。

 

映画の感想。

ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、ユリアが選択した生き方を見せる作品だった。私は観た後、何も解決はしてないけれどなぜかすっきりするような、清々しい感覚になって好きだった。何が好きかと聞かれると困るけれど…

まず間違いなく言えるのは、ユリアが素敵。表情や立ち振る舞いが、「いい女」という感じがして見ていて飽きなかった。来世はこんな自然体でお洒落な女性になれたらええなあ。

また、映画に出てくるどの家にもインテリアへのこだわりを感じて面白かった。さすが北欧。特に漫画家の彼の親戚が所有するコテージが最高に心地よさそうな空間だった。万年アルバイトの男性宅が、観葉植物が真っ白な壁を覆うモデルハウスのような1LDKというところには、「こんなおしゃハウスに住む金銭的余裕はあるのか?」という少しの疑問と、「北欧だから」で片付けてしまえるロマンがあった。

30歳で、こどもはまだいらないという彼女。本当はまだ、じゃなくて、いろんな考えがあって、ずっといらないのかもしれない。恋愛、こども、家族、仕事、安定。

私は何が欲しいんだろう?決めないと、ずっと不満足なままのかもしれないと思った。

仕事よりさかなのこ

去年の夏頃、締め切りがシビアかつトラブルの多い仕事を抱えていたため毎日残業している時期があった。

当時映画館にはまっており、仕事帰りに色々な映画館に行って、レイトショーを鑑賞するのが毎週の楽しみだった。映画自体は勿論、映画館と、映画館のロケーションも含めて楽しむのが私の仕事帰り映画のお作法。

映画館は、激コロナ禍であまり友人と会えない中、数少ないひとり娯楽のうちのひとつだったのだ。

 

そんな時期の一幕。

 

 

この日も担当案件の進捗が芳しくなく、残業を強いられていた。

ストレスと疲れでちょっとしたミスを連発し、また余計に時間がかかる。
まずい状態であることは重々承知しているのだが、残業しなければいけない現実について考えれば考える程、残業から逃げる方便ばかりがぴよぴよと生まれてくる。

そして、私は飛んだ。

 

今日は絶対「さかなのこ」を観に行くんだ!

 

映画の上映時間は21:15。

もう仕事ができる頭ではなくなっていたのでここにいてもしょうがないと思いとりあえずオフィスを飛び出してしまったが、映画のチケットを持っていない。
まだ残席があることは仕事中ちょいちょい確認していたので問題ないが、私はその映画館の会員ではない。映画館までの20分の道のりで会員登録とチケット購入の手続きをする。paypayでの支払いが可能だったのでクレカの番号を入力する手間は省け、なんとか映画チケットをゲットすることができた。

チケットを買ったはいいけれど、上映開始時刻には到底間に合わない現状、シアターに入れるのかも不明だ。ネットで調べると上映開始から15分までは入れるらしいが、それも間に合うか。平日の賑わわない歌舞伎町ネオン街をずんずん歩き、映画館の建物に入る。

映画館はまだ閑散としていた時期だったので、広い受付フロアには全然人がいない。慣れない手つきで自動発券し、上階のシアターに入った。

 

「犬王」を観に行った時と同じくらいの規模の劇場。どちらかといえばコンパクトなタイプ。こういうシアターは席の傾斜がきつく、後方に席を取ってしまうと、席に着くまでに息が上がって汗をかく。暑い。

レイトショーにも関わらず、本映画の客層は高めだった。私の前の席はおじいさんとおばあさん。後ろの席からはおばあさんの笑い声や「あぁ面白い!」といったコメントがよく聞こえてきた。
私の左隣のおじいちゃんは、映画序盤、ちょいちょい寝ていた。いびきが聞こえて、しばらくするとガクッと落ちて目を覚ます。中盤以降は映画に見入っていたのか、彼が再び入眠することはなかった。

 

あまりにも疲れていたので、観終わった直後は何も考えられず、のんさん可愛かったなあくらいしか感じられないほど頭が働いていなかった。
映画が終わり、観客がそれぞれゆっくりと席を立っていた時、シアターの後ろの方から「面白かったなア!」「よかったな!」という元気な若いにいちゃん達の声が聞こえてきた。ここでようやく我に返り、「うん面白かった!めっちゃいい映画だった!!」と思った。

それからゆっくりこの映画の素敵だったところが蘇ってくる。

 

のんさんが言葉で言い表せぬほどかわいらしく、演技が「さかなクン」として自然で素晴らしかったことは言うまでもない。

そのほかの私的MVPは、かが屋の加賀さん演じる水族館員。
さすがかが屋、リアルな先輩感の中で不意をつくコミカルさを出してくるから、つい笑ってしまう。また、さっぱり仕事に集中できないさかなクンを叱りつつもフォローする、どこか温かい先輩の姿が愛おしかった。こんな先輩いるな~仕事がうまくいかない後輩との掛け合いおもろいな~!と思わせる素敵なキャラクターだった。

あとは柳楽さん演じる同級生。
私は「ゆとりですがなにか」大好き人間なので、ガラの悪いいい奴の役といえば柳楽さん、と思っている。今回、彼女役としてぱるるが出てきて、「まりぶとゆとり!まりぶとゆとり!!」とひとり盛り上がった。

 

さかなクンは人柄の良さで良い友人に恵まれ、そのおかげもあって大好きなおさかな研究に邁進してこられたんだなと思った本作。さかなクンのユーチューブチャンネルを観ていても思うのだが、さかなクンはびっくりするような努力やアイデアを人のために実行する。それが積み重なって信用になって、人が集まってくるのだな。

「悪い人が出てこない映画」と評されている本作、これがさかなクンが見ている世界なのかもしれない。

夏の旅を〆る

坂の上の方にある酒屋さんで、お土産の地酒とお味噌を購入。質量のあるお土産。

 

もう昼過ぎ一番のバスには間に合わないので、1時間後のを宿の休憩室で胡坐をかいて待つ。

ここも人がいない。宿の人もたぶんいない。

蒸し暑い、畳の匂いが上ってくる。

表通りの人の声と折坂さんの「坂道」を聴きながらこれを書く。

 

この町はいつも水の音がする。室内にいると、常時雨が降っているように感じる。

今日は薄暗い日なので、雨が降っているのかどうか本当に分からない。

 

 

 季節が耳打ちする 「似合わない服を脱げ」と

 きっと君は気づいてた 目的を通り過ぎたと


 その角を曲がれば 細く暗い道に出る

 いつかは会えるだろう 嘘みたいなそんな場所で

 

 

 

これでこの旅はおしまい。

ふたつの資料館

さあ観光。

ちらほら駐車場から人がやってくるが、まだ人はそんなに多くない。

 

ある有名作家に関する古風な資料館が開いていたので入ってみた。

その素敵な木造家屋に今なお住んでいるというおばあさんに、料金を支払う。おばあさんは小さいころその作家の息子に会ったことがあるそうで、「いいおじさんだった」と笑顔で話していた。

傾斜の急な階段を上って展示場である二階に向かう。階段の面は光を反射してツルツルしていた。落っこちないように気を付けて一歩一歩登っていく。

二階には所せましとガラスケースが並んでいる。ケースの中には作家に書いてもらったという掛け軸や息子への書簡をはじめ、当時使われていた食器や人形、浮世絵などが飾られていた。

ひな人形や劇用の人形が飾られているコーナーに、小さい頃の私にそっくりな日本人形が置いてあり、はっとする。

二階の床はよく軋み、体重でしなる。床板の節穴を覗くと、下階の床が見えた。床板薄い、心細い。

 

10:30過ぎにこの資料館を出たあたりから、人が急激に増え始めた。がらんとしていた朝の様子からは想像もつかなかった賑やかさにあてられ、ぎゅんっと俗世に引き戻される。

 

今度は別の資料館に入ってみた。

こちらは木の香りがする新しい建物に入っており、作家の所有図書がずらりと並んでいた。タイトルはフランス語や英語のものも多い。漱石の全集や、ニーチェなどの哲学者の作品、歴史書など、ジャンルも様々。彼はこれ全部読んだのだろうか。

私の部屋には買って読んでいない本がたくさんある。もし私が偉い作家になって死んだら、開かれた跡のない、分厚いGame of Thronesが私の記念館に飾られて、観覧者は「さすが有名作家はこんなにお洒落な洋書を読んでいたのね」と感心するだろう。

その作家の人生や作品群について知ると、読みたい本がどんどん増える。
「初恋」という作品が入っている本を買って帰りたかったのだが、資料館にはお土産店がなく、お土産用の本などは資料館入り口にあるチケット窓口で販売していた。窓口で「初恋ください」と言う勇気がなかったので、渋い顔でそこを出る。

 

通りは人でいっぱいだった。この日は土曜日。

峠とカフェ

町近くの峠を登り切ったところにある広場で、ベンチに座り山を眺める。

誰もいない。山を見ながら、やはり帰りたくないと思う。山の中で暮らせたら、どんなに楽しいことか。根拠もお金も所縁もないのに、何故だかそんな気がしてならない。

私は山に何を見出しているのか。不思議だ。

 

この町で評判のカフェのオープン時間になったので、峠から町に降りる。

 

町に似合わぬアメリカンな名前のそのカフェは、古民家を改築したような味のある建物に入っている。大きなガラス張りの窓からはこれまたアメリカンな内装が覗かれる。

カフェモカを頼んで、通りに面したカウンターで啜った。

大抵のカフェって、カウンター席をガラス張り窓の前に作ってるよねえ。
私、一人でコーヒー飲んでる姿を人に晒すのちょっと恥ずかしいのだけど。そういうお洒落に溶け込むのが、オシャカフェ客の義務なのかもしれない。店側からしたら、文句があるならテイクアウトして虫がぶんぶんするベンチで飲めばいいじゃないって話よね。

ここのカフェは高評価なだけあって、カフェモカがめちゃくちゃうまい。
まずミルクがうまい。フォームミルクの泡がスカスカじゃない。こってりとした濃厚な泡。そこに絶妙に溶け馴染んでいるコーヒー。
これはすごいぞ。

刺しそうな虫

時間通り宿に到着した。やっと重い荷物を肩から降ろせる。

 

長期休みの時期になると国内外からの観光客であふれかえるこの地域も、今はまだ人が少ない。宿のドアを開けても、人の気配がしない。広い玄関にはサンダルが3足あるだけだった。

 

しばらくすると宿のおじさんが出てきて、部屋に案内してくれた。

襖を開けると、良い感じに布団を敷けば6人は寝られるくらいの広~い部屋。繁忙期外ならではの贅沢。

おじさんに挨拶した後部屋の中に入ると、ブンブン音がする。お尻から長い針を突き出した、いかにも毒虫らしい、黄色い虫がエアコンの周りを飛んでいる。他からもブンブン音がする。この部屋には何匹の先客がいるのだろう。

刺さない虫は最悪共存できる。でも刺すやつにはご退場頂かなければならない。タオルで追い回して、なんとか部屋から出した。夕食前のひと運動。

 

夕飯後、耳をすませばを観た。神社の境内で主人公と野球部の男の子が話しているシーンが一番好き。そして驚いたことに、前日見かけた女優さんが主人公のお母さん役として出ていた。

 

 

6:30起床。

廊下に出ると、突き当たりのベランダからここの奥さんが笑顔で朝ご飯どうぞと言ってくれた。ベランダのドアは開け放されていて、向こうの山まで見通せる。廊下はおばあちゃんちの匂い?線香のような香りがほんのりする。

この日初めて歩いて、ふくらはぎの激痛にびっくりした。昨日あの巨大な荷物を抱えた上に、自分の基礎体力を無視したプチ登山・岩場渡りを決行してしまった代償だ。

 

食堂は仏間のある和室。おばあちゃんちでだらっと過ごすような気持ちで、脚を前に放り投げて座る。

テレビをぼうっと見ながら朝ご飯をお腹いっぱい食べる。昨日よく歩いたから、体の回復のために私はたくさん食べないといけない。たとえおなかが「もう入らない」と呻いても。

 

廊下に出て部屋に戻るとき、廊下の奥に山の緑と洗濯物が見えた。坂に立つこの町から、山を望む生活。ここでの暮らしは素敵に違いない。

 

部屋に戻ると、謎の憂鬱が立ち込めた。これまでのアレコレやこれからのアレコレが脳内にもくもくと積乱雲をつくる。悪いところを残して楽しい思い出が全部頭の中から流れ出してしまって、濾された苦味に頭を抱える。

 

カーテンを開けて外を見ると、曇天。