ミニシアターで、私は最悪を観る

会社帰りに映画を見に行ったときの話をもうひとつ。

映画自体の話は少なめです。

 

この日も息絶え絶えにオフィスを出た。しんどいけど、私は映画を見に行くんだ…

疲労疲労を重ねるようなこの暴挙を毎週行事にするかは迷っているが、なかなかにいいものなので、その時々の気分に合わせてポジティブに取り組んでいこうと思っている。

 

14:00くらいまでは映画に行くかかなり迷っていた。もうすでに帰りたいのに、帰る時間をぐっと遅らせるなぞ愚行ではないかと。しかし私はいつまで東京にいるか分からない。じゃあこの都会で働くメリットを私の想像力の及ぶ限り楽しむのが正解だろう。持っているものの良さを最大限享受したいと思っている。

 

お目当てのミニシアターを目指して、新宿の外れを歩いていく。初めてのミニシアター。わくわくだ。ずっと憧れていた、こじんまりしたローカル感のある映画館での観劇が遂にかなうかもしれない。「高円寺↑」という案内標識がたっている大きな道路の脇を歩きながら、私を待っているチャーミングな映画館との出会いに想いを馳せる。
そんなメルヘンな頭の中と相容れぬ様相の歓楽街に侵入する。

新宿駅周辺の路地には腐臭が立ち込めている。ひしめき合う飲食店、建物と建物の隙間にはゴミ置き場、蒸し暑さで地面から湧き上がるような腐敗臭。それをものともせずに回遊する人々。会社帰りのような服装の人はまだ少なく、学生かショップ店員かと思われる華やかな人間が歩き回り、ガラの悪いにいちゃん方や警備対象が不明な警備員たちが駐屯していた。

しばらく路地を彷徨い歩いた後、目的地に辿り着き、その魅惑の地下シアターへの入り口を見て私の冒険心は湧きたった。でもカルチャー人間気取りとは思われたくなかったから、入り口で感慨に浸る時間は設けずさっさと階段を下りた。

 

チケットカウンターのお兄さんに「『私は最悪。』の20:40からのチケットください」と告げると、お兄さんはほぼ埋まっちゃってますねえと、客席の左側にまばらに3席だけ空いている図をモニターに映して言った。スクリーンが右寄りに設置されているため右側に人が集まっているのだという。左側の席の一部は、壁に阻まれてスクリーンがちゃんと見えないそう。私は空いている中で一番右寄りの席をとった。

 

映画館までの道でたくさんの喫茶店を見かけたので(そのほとんどがチェーン店だったが)、そのうちのどれかに入って上映時間までの暇を潰すことにした。

まず、その風貌を見た瞬間から第一希望に決めた、とある喫茶店の様子を見に行った。赤レンガの外装とショーウィンドウの中に見えた緑色の液体に私のこころはわしづかみにされたのだった。
映画館への道すがらこの店の前を通った時、私と同じ年恰好の女性がこの喫茶店のドアまで行って、張り紙を読んでから立ち去ったのを見た。それが気がかりだったので私もちゃんと張り紙を読んでから入店しようと思っていた。
店前の階段を上り、ドアの前に立つ。張り紙には「喫煙家のための店です」と。
私もあの女性と同じく険しい顔をして立ち去った。30分くらいの時間つぶしだったら入ったかもしれないけど、2時間煙の中にいることはできないかなあ。映画館は匂いが籠るしねえ。

第二希望は3店あり、全部チェーン店。

もうどれでもよかったので、一番最初に目に付いた珈琲店に入った。
赤レンガの階段を上り店に入ると、想定外の賑わいに田舎に帰りたくなった。一名様なのに四人席、クッションのない硬い椅子、しかも入り口の正面で入店客全員の目に留る。ああ嫌だと思いつつも、15分程悩んだ末にハヤシライスセットを頼む私は肝が据わっている。
「小さい席が空いたらそちらに…」と店員さんに声をかけるも、私が店側に気を遣っていると勘違いされ「いえいえそのままで大丈夫ですよ」と言われ撃沈。恥も外聞も捨てて、私はTwitterを繰りながらハヤシライスうめえとバクバクやった。

私の隣には30過ぎくらいの男性と若いギャルが、私の斜向かいには30手前の男女が、私の正面には老夫婦が座っていた。

ギャルはEXILE風の男性に「痩せたいけど痩せられない」「垢抜けるにはどうしたらいいか」などのよくある当たり障りのないトークを、ただ時間を埋めるためだけのように放っていた。この男性はバイト先の店長だろうか、それともパパだろうか、彼はきっと人生でこの話を何十回、何百回と聞いて来ただろうし、これからもギャルとの会話はこの繰り返しなのだろうなと思った。

斜向かいの男女の会話からは「契約が…」「海外では…」という単語が時々聞こえてくるのみで会話の内容は全くつかめなかったが、彼らは都心の喫茶店によく出没するというマルチの勧誘なるものなんじゃないかと想像している(あくまで想像である)。二人とも何か資料を読んでいて、男性は「契約」という言葉を何度も使う。女性はあまりしゃべらない。彼女が悪いことに巻き込まれていないことを祈る。

正面のおじいさんおばあさんには動きがない。会話もない。休んでいるだけのよう。

私が入った時には満席だった店内も、食べ終わったころにはぽつぽつ空席ができていた。20時近くになるとみんな居酒屋に行ってしまうのか。店員さんが私に4人席のままでいいよと言ったのも、あと数十分もすれば空いてくることを見越してのことだったのかもしれない。

私はセットのアイスコーヒーをちびちびやりながら、祖父母宅から持ってきた「海と毒薬」を読む。電車の中では酷く焼けて黄ばんで見えるこの本も、セピア色のここでは普通の本の色。1時間は読んでいたはずだが、全然進まない。純文学は一言一句こぼさず読み取らなければいけないという強迫観念があり、一ページの中を行ったり来たりしてしまう。

 

上映時間の20分前に喫茶店を出て、映画館に向かう。
カフェインでくらくらする頭をなんとか首の上に据えて地下に潜ると、チケット販売所兼待合室の空間にはたくさんの人がいた。連れ合いで来ている人は少ないようで、間を開けてベンチに座っていたり、映画のパンフレットを手に取ったり、壁に貼ってあるポスターの写真を撮ったりと、皆思い思いに行動していた。

シアターの内装は、映画館というよりも芝居用の劇場という印象を受けた。
スクリーンがあまり大きくないためか、小規模シアターにありがちな急斜面ではなく緩やかな勾配に赤い椅子が並んでいる。楽器屋に売っているような三脚付きのヤマハのスピーカーがスクリーンの両脇に立っているのも、芝居やお笑いライブ用の劇場に見える要因だろう。
赤いベルベットの椅子は、座るとふかっとした。入ってくる人は学生から社会人、パートのおばちゃんという感じの方まで年代は様々(15禁だったので子供はいなかったが)。映画の内容的に女性客が7割といった感じだった。

 

映画の感想。

ハッピーエンドでもバッドエンドでもない、ユリアが選択した生き方を見せる作品だった。私は観た後、何も解決はしてないけれどなぜかすっきりするような、清々しい感覚になって好きだった。何が好きかと聞かれると困るけれど…

まず間違いなく言えるのは、ユリアが素敵。表情や立ち振る舞いが、「いい女」という感じがして見ていて飽きなかった。来世はこんな自然体でお洒落な女性になれたらええなあ。

また、映画に出てくるどの家にもインテリアへのこだわりを感じて面白かった。さすが北欧。特に漫画家の彼の親戚が所有するコテージが最高に心地よさそうな空間だった。万年アルバイトの男性宅が、観葉植物が真っ白な壁を覆うモデルハウスのような1LDKというところには、「こんなおしゃハウスに住む金銭的余裕はあるのか?」という少しの疑問と、「北欧だから」で片付けてしまえるロマンがあった。

30歳で、こどもはまだいらないという彼女。本当はまだ、じゃなくて、いろんな考えがあって、ずっといらないのかもしれない。恋愛、こども、家族、仕事、安定。

私は何が欲しいんだろう?決めないと、ずっと不満足なままのかもしれないと思った。