滝と川

山を登るバスに15分程揺られ、大荷物を抱えながら滝に向かう。

平日だし空いてるっしょ~と悠々と構えていたが、意外と家族やカップルで涼みに来ている人が多く、近くのキャンプ場は満員だった。期待してたのと違うと心の中で呟かずにはいられなかったが、思い通りにならないのは世の常なので、滝!滝!と心を滝でいっぱいにして気を紛らわせた。

 

3キロほどあるバックを左肩に、つり橋をずんずんわたる。橋の真下を覗いてみる。水が美しすぎて全然怖くない。ここに落ちるのも悪くないとすら思う。

木の根でぎりぎり固まっているような地面を踏み抜いて、森の中を昇ったり降りたりする。人ひとり分の幅しかない、前後にグラグラする簡易階段を下りていく。でかいバックが邪魔。

 

なんとか滝について、滝の前に佇む。滝とか流れの激しい川のほとりって、涼しい風が吹いてきて気持ちがいい。エアコンの風とは全然違って、湿潤かつ冷涼。

私は今回の旅でやりたいことその一「滝の前でぼーっとする」を成すべく、滝近くの湿った岩に小さなゴミ袋を敷いてそこを茣蓙とした。座り心地は悪くなかったが、なにせ3キロのでかいバックを抱えているもんだから、あまりリラックスできたとは言えない。

滝の奥から流れ出てくる冷気を浴びながら、私これ今何やってんだろうと思うこともあった。しかし仕事や将来などの所謂有用なことは考えないのがここでのルール。カジュアル座禅なので、考えないことも考えないという無の境地を目指せばよい。

無の境地に至るまでもなく、次のお客が来る気配がしたのでそそくさと座禅体制を解いて滝から離れた。

 

これ以上山を登る気力はなかったので、道を戻って、バスで通り過ぎてきた川を見に行くことにした。川底が白いから、綺麗な青緑色をしている。箸を買った木材店のお兄さんは、「川って青いものだと思ってた」そう。素敵なところで生まれ育ったのですね… こういう絵にかいたような、歌に歌われているような故郷があるのって羨ましい。

 

行きのバスの中で見た景勝地に辿り着いた。ここでは川辺に降りられるみたいだったので、岩がゴロゴロしている場所をなんとか降りて行った。

人影はなく、どうどうと川が流れているだけの場所。まだ水が冷たすぎるので、泳ぎに来る人はいない。私は川辺の大きな岩のでっぱりに座った。

バッグからタオルを取り出し、靴と靴下を脱いで足を水に浸した。気持ちよさを通り越した冷たさ。だんだん慣れてくると気持ちいいが、慣れきれないくらいに冷たいので、1分も足をつけていられない。川につけた足を見ていると、氷りかけのガラスが私の足をとおりぬけていくみたいだった。

川上を見ると青緑の水と山の緑が見える。雲は多いが、天気も悪くない。岩の上は木の枝が覆っていて、日陰になっている。快適。ここでしばらく本を読んで過ごした。

 

 

山上には一時間ほど滞在し、行きと同じくバスで下山した。

山の麓でバスを降り、駅近くのカフェに向かってよっこらと歩く。山の上は涼しかった。下界に帰ってきたら暑い。渓谷で得た涼を着々と失っている。汗が。

 

小さな橋を渡りきったところで、交通整備の若い青年二人が談笑していた。地元の学生が夏休みのバイトでやっているんだろうか。背景の山、田んぼ、田んぼ脇の黄色い花と、交通整備の制服、日に焼けて楽しそうに笑う青年たちが絵になっていた。

 

橋向こうの町に入ると、今度はおばあちゃんが民家の軒先に立っているのが見えた。この町ではいろんなところにおばあちゃんやおじいちゃんが立っていたり、座っていたりする。それが日向でも、日陰でも、玄関先でも、道端でも、郵便局の前でも。ひとり、ただ、立っていた。

 

茶店で電車までの時間を過ごす。ここで頼んだコーヒーとブルーベリーチーズケーキの美味しさは今でも覚えている。

予定通りの電車に乗り、バスに乗り換え、次の目的地へ向かった。

藪の中で迷子

綺麗な川と滝を目指して、ローカル線に乗って行く。窓の外を眺めていると、不思議な名前の駅があったり、ホーム一面に猫じゃらしが生えていたりするのが目に入る。なぜホーム一面に猫じゃらしが生えるんだろう。

 

駅に到着して、まず荷物預かりのサービスをやっているか駅員さんに確認した。すると、サービスはおろか、この窓口自体が昼で閉まってしまうことが発覚。帰り切符も買えないじゃない。駅周辺にも、観光客向けの店はない。仕方がないので、2泊分の荷物は抱えたまま歩いていく。

駅に着いてからも、本当に滝を見に行くか迷っていた。滝を見に行くなら山を登るバスに乗らねばならず、バスの時間と一時間に一本しか来ない電車の時間が微妙に合わないので、何もやることがない時間ができてしまうのだ。でもせっかくだし、ということで、バス停に向かう。

 

それが、滝を見に行くか思案していたものだから、マップを全然見ずに間違った方向に歩いてきてしまった。気づいたときにはもう引き返してもしょうがないところにいたので、草木生い茂る道、地元民しか使わないであろう道を歩いて行った。

藪か家屋か畑しかない小路を歩いていると、急にいい匂いがしてきた。こんなところでアロマ炊いてるのは誰だと思って道を行くと、林業の敷地に木材が積まれているところに出た。丸太のオレンジ色の断面が、すてきな香りを放っている。

そのまま進んで行くと林業の工場が道沿いに立っていた。つまり、バス停の方面に行くにはこの工場の敷地を突っ切らなければならない。平日なので、地元の方々がここで普通に働いている。トラクターに乗ったおじさんがこちらを見ている。こんなところを通るのは不本意なんです、とんでもない方向音痴なんです、と言い訳をしたい気持ちでいっぱいになりながら、そこの作業員さんと目が合わないように帽子の庇を下げた。

宿

チェックインにはまだちょっと早いが、宿に向かう。

前とは違うお部屋。ひとりにぴったりなサイズ感の和室だった。窓からはこの宿のちいさなお庭や、周りの背の低い家々、そして奥には黒い山が見えた。ここに書生としてわたくしめを置いてくれないかしら。

 

宿に着いたらすぐ夜ご飯に呼ばれた。

一階の食堂には、この日私のほかに泊っていた1組、70代のご夫婦がいらっしゃった。大学教授でもやっていそうな品格のあるおじさまと、スポーティーな格好の溌剌とした奥さま。お二方とも私の母より体力がありそうで、若々しく見えたから「大学時代は大学紛争で半分くらいしか学校に行けなかった」という話を聞いて驚いた。三島由紀夫時代の方々なのか。

宿のお母さんから「私はよくテレビで見てましたよ、大変そうでしたねえ。あなたは若いから知らないでしょう、学生紛争なんて。」と声をかけられたが、村上春樹三島由紀夫を読んでいたおかげで少しばかりはわかる。「知っていますよ、バリケード作るやつですよね」「そうそう、当時は催涙弾くらって目が痛くなったり、銀座の道路の舗装を剥がして警察に投げつけているのを見たりしましたよ。私は東京の大学に行っていて、その時同じ大学にこの人がいたんですよ」と奥さん。そんな混沌とした大学時代に出会った旦那さんと、今一緒にハイキングしたりしていることがとても素敵で、浪漫だなあと思った。

私の母も短期女子大にしか行けなかったのに、さらに20年も先輩の奥さんが東京の大学に出ていたなんて。きっと奥さんは特別に優秀な方なのだろう。

このご夫婦とは何かご縁があるみたいで、この町を出る直前にお参りした神社で会い、その翌日は別の町でもばったり会った。ご縁は不思議なものだから、またどこかで出会うかもしれない。

 

前回と同じくたくさんの料理をふるまってもらい、美味しい馬刺しやてんぷらなどをもぐもぐしながら宿のお母さんとおしゃべりをした。なんでこのあたりに来たのか、前回はどんな旅だったか、明日はどこに行くのか。息子が詳しいはずだから、帰ってきたら話を聞くといいよ、と。

細かくは忘れてしまったが、いろいろなことをゆったりと、リラックスしてしゃべった。心のどこかにあった寂しさが溶ける。ここのお宿の宝はこの温かい、素敵なお母さんだ。

 

 

この日、夜22時ごろ雨が降り始めた。

 

明日川に行く予定だけど大丈夫かなあ、水害とか起こらなければいいけど、緊張して全然寝れないなあなんて考えていたら、23時ごろには雨音がバアーッという恐ろしい音になった。これはもう雨音じゃない。1000個の和太鼓を家の周り、そして屋根上で鳴らされている。雨が天井を突き破ってくると思った。
5分くらい同じ状況が続いたので、無事に家に帰ることは諦めた。もうこれは近くの川から水が出て、この町ごと流されるのだ、家同士がくっついたまま船のように激流を下り海に出て、海上宿場町として新たな生活が始まるのだと夢想した。

しかし15分もすると酷い音は収まって、パラパラという普通の雨に戻った。でも廊下側上方から変な音がしている。何かがリズミカルに落ちてバタン、という音。怖いなあと思っていたがいつのまにか眠ってしまった。

 

6時半、早めの起床。昨日雨が降ったと思えないほどきれいな朝だった。怖い川の音もしない。部屋の窓を開けると涼しい風が入ってくる。朝日に照らされた木造の町が見えた。

理想的な和朝食を食堂で食べ、身支度をする。私、今日いい一日を始めたなと思った。

 

 

電車の時間まであと40分、宿のお母さんにおすすめされた杉並木を見に行った。町を出てしまった時、ここから出て行かなきゃいけないのかととても悲しくなった。本当に行かなきゃだめ?うん、行かないといけない。この繰り返し。

行かないといけない、と心の中で言いながら、杉並木への坂道を登る。お母さんが言っていた杉並木は、森の端の中の神社にあった。階段の上に見える鳥居に向かって登っていると、一緒の宿に泊まっていたあのご夫婦が降りてきた。今日は天気がいいですね、暑いですね、と挨拶。地蔵はあちらですよ、と小道を指して教えてくれた。

 

帰らなきゃいけないからこそより魅力的に感じられる特別な体験なんだ、この生活と環境が当たり前になったら怖いぞと、もう帰りたくない幼い自分に言い聞かせた。

目的地に着いたら

目的地の駅についたら、まず宿に向かった。

数年前同じ宿に泊まったことがあり、ここはまたゆっくり来なければいけないと思って、今回の再来に至る。相変わらず美しい建物。

玄関に入ると、天井近くにある窓から注ぐ白い日光だけが頼りの薄暗い廊下の先で、先客?のおじさんとここのお母さんが話をしていた。黒い木製の壁や床に反射する日光が、ほんの少し廊下に明るさを加えている。この光景は写真には撮っていないけど、一生頭に残って、ある音楽を聴いたときにまた思い出すと思う。

 

 

私は荷物を預け、地図をもらって冒険に出発。

といっても、18:00で依頼してしまったチェックイン時間まで4時間ほどあり、この小さくて古風な町をどう探索しようかと思案した。とりあえず喫茶店で本を読もう。ここには喫茶店が数件あり、グーグルマップで様子を見るとどこも素敵。町の奥のほうにあるところが気になったので、8分程の道のりを歩いていく。

目指している喫茶店がそろそろ見えてくるかな、というときに、建物の前に行列が見えた。行きたかった喫茶店に人が並んでいると勘違いし、道を戻って別のお店に行こうと思ったが、よく見るとその人だかりは何かの撮影だった。有名な女優さんが、浴衣姿でカメラに向かって話している。ここに映りこんでは秘密のひとり旅が世に晒されてしまうと危惧し、速足でそこを通り抜けた。

 

お目当ての喫茶店には2組の先客がいた。席には余裕があるように見えたので、予定通りここで休憩することに。

ひとり旅の問題点で、最も深刻なもののうちのひとつがこれ。飲食店に入りづらい。入ったところで席に困る。喫茶店だと長いカウンター席が用意されていることもあるので気にならないことが多いのだが、ここには複数人用の席しかない。4人用テーブルに座るのは忍びないので、通りに面した二人用カウンターに座った。

目の前はガラス張りの広い窓なので、通りを歩く人が見え、当然あちらからも私が見える。どんな風に見られているのか気になって仕方なくなるのは私の悪い癖。私のこの旅は人に見せるためのものじゃなくて、全部自分のためのものなんだ、ダイジョブダイジョブ!と自分を鼓舞してなんとかリラックスするよう努めた。

店の入り口で店内を見渡した時には充分な空席があるように見えたが、よくよく観察すると喫茶店は4組しか入れない構造になっていた。私が入った後立て続けに二組入ってきて、後から来たカップルは席を取れず出て行った。一人客はこういう時肩身が狭い。一人で二人用のコーナーにいることにどうしても罪悪感を抱いてしまって本に集中できない。注文したケーキを食べ終わるとすぐに店を出た。別に誰から責められてるでもないんだから好きなだけいれば良かったのかもしれないけど、どうしても落ち着かなかった。

 

本当は喫茶店で1時間くらい過ごしたかったのだが30分ほどしか潰せなかったので、残りの3時間強は町を散策することにした。

まず、目についた大きな木工芸品店でお箸を探した。朱塗りの軸に、螺鈿できらきらの模様がついているお箸に一目惚れ。お箸を留めている「伝統手作り」と書いた紙も素敵なのだ。今は包装から出さずに鑑賞用として机に飾ってある。最近これと似たような箸を近所の商業ビルで見かけてアラマアと思った。

その店のお兄さんに極細箸をおすすめされて、それは実用用に購入。それからお兄さんがおまけで「檜」と書いたお箸を2膳くれた。極細箸は手触りがよいため気に入っており、毎日使っていたら先端が欠けてしまったが(ほうれんそうのお浸しを食べているときに箸を噛んでしまったのが悪い)、それでもまだ使い続けている。檜箸は、お兄さんに勧められた通り麺類を食べるのに使っている。

 

 

引き続きお土産を探して、素敵な木造家屋の店々をまわる。

 

町の煎餅屋で、一袋4枚入り800円超を3袋と、1枚パック250円を二袋買った。なぜこんな高級煎餅を14枚も買ったかと言うと、それはもう見た目がとてもとてもおいしそうだったからだ。煎餅は手を広げたときくらいの大きさで、分厚く塗られた味噌がつやつやしている。目から味噌の味が伝わってくるくらい、濃厚で香ばしく、しっとりしている。帰宅後母と一緒に食べたのだが、見た目通りの味。つまりとてもとてもおいしいということ。これは世界で一番うまい煎餅。布教用にもっと買えばよかった。

 

小さい町なので、お土産屋巡りだけで気づけば町を2周している。

中央通りの二往復目で、どこからか鈴の音が聞こえた。振り返ると、赤いランドセルをしょった女の子が縁石の上を歩いていた。小学校4,5年生くらいだろうか。ポニーテールを揺らしながら、楽しそうにあちらこちらふらふらと、ゆっくり歩く私を追い越して進む。彼女は時々、花が咲いているプランターの前で立ち止まったり、たぬきの置物の前でしゃがんだりする。彼女が動くたびに、鈴の音が聞こえる。音は彼女から鳴っているのだ。鈴の音はだんだん遠くなり、少女の姿もどこかの路地に隠れたのか、いつの間にか見えなくなった。

このことを宿のお兄さんに話すと、鈴はきっと熊除けだよ、小学校の裏にクマが出て休校になったこともあったからね、と教えてくれた。この神秘的な鈴少女の謎が解けてしまった。

 

 

観光名所らしいものも全部見て、神社にもお参りして、さあもうこの町でできることはやりきったぞ、ということで、最後の手、森の中までの散歩を決行した。森の中に古く美しい道があるのを、私は知っている。時間はまだまだあるので、町から古道に続く坂をゆっくり上っていく。

ようやく石畳の綺麗な森の中の道に着いたのだが、人気が全くない。虫の音と森の音がさわさわいうだけだ。あんなに気持ちのいいひとり空間はほかにないと思われる程、ずっと遠くまで、鳥以外の動物は私だけのような気がした。あっという間に日も暮れてきて、曇っていた空からさらに光が失われていく。真っ暗になったら怖いけど、これくらいならへっちゃら。ベンチでもあればここで座って本を読めるのになあと思いながら、森林浴を楽しむ。

ふと腕に虫の気配がして目線をやると、でかい蚊がとまっている。ぎょっとして払うが、こうなると全身に虫の気配がしてくる。髪を結んでいるので、首元がノーガード。危ない。あんなエイリアンみたいな蚊に自由に血を吸われていたら失血死してしまう。それにあの図体。どんな強力な毒を内蔵しているかわからない。山道をすでに20分ほど歩いているのでもう手遅れだろうが、慌てて山を下りる。その間も絶え間なく攻撃を仕掛けてくる小型ドローン。潰してもこんな山の中じゃきりがないので手で払ってしのぐ。

この森では私がエイリアンなのだ。森の防衛隊に私はまんまと追い返されてしまった。

夏の旅のはじまり

ひとり旅をしてきた話。

私はひとり旅の大愛好家ではないが、行きたい場所に行きたい時に行くことを心掛けているので、「今!すぐ!行きたい!」と感じたら荷物まとめてひとりで電車に乗る。

旅先では基本的に宿や静かな街並み、そして自然を楽しむので、所謂観光はあまりしない。ひとりでしかできないこと、例えばどこへ続いているのかわからない細い路地に入ってみたり、誰もいない川で冷たい水に足をつけて本を読むといった、冒険と慰労の旅をする。

 

 

Tシャツでも暑い季節。綺麗な川のほとりでぼーっとしたいという動機から、今回の旅行計画は立ち上がった。出発の数週間前から仕事のようにきっちりと下調べを行い、電車・バスの時間や効率よく回るルートを事前に調査してテキストファイルにまとめ、旅のしおりとした。時刻の10分前には駅についておくという、エエカゲンな私らしからぬ素晴らしい立ち回りで、大きなトラブルなく旅程をすべてクリアし帰還。立派な大人だなあ。

 

今回の旅のお供は「ペンギン・ハイウェイ」。
当時読みかけだった作品は「金閣寺」(三島由紀夫)と「たけくらべ」(樋口一葉)なのだが、一人旅にはちょっと暗いし話が重い。明るく朗らかな旅を願い、出発の4,5日前にペンギンを取り寄せた。近所の本屋には売ってなかったのでお取り寄せ。届いたペンギンは思っていたより分厚い。結果半分も進まなかったが、この旅中期待以上に楽しませてもらった。

 

目的地に着くまでの3時間ほどの道のりには特に面白いことも事件もなく、スムーズに数々の乗り換えをこなしその地域に入った。いや、一回事故っていた。

特急からローカル線に乗り換えるときに、まさか駅にICカードをピッとするアレが無いと思わず、一回乗換駅で改札を出て入りなおさないといけなかったところをそのまま通り過ぎてしまい、電車を降りるときに「切符持ってねえよ!」とあたふた。改札を一回出なきゃいけないなら、駅をそういうつくりにしておいてほしい。乗り換えの動線に改札置くとかさ、藤沢駅のように。

その地域の多くの駅には改札がない。
改札が無い場合、ワンマンで運転している車掌さんが、電車を降りる客の切符をチェックする。切符を持っていない場合その場で支払うこともできるが、ぴったりの金額を下車前から用意しておかないと非常に迷惑になる。

私は間違いから学べる人なので、次からは気を付ける。

日記から

読書感想文は書いているけど、日記はまだ投稿していなかった。

やろうやろうと思っていてほったらかしにしていた日記形式の記事を、今日から書いていくことに決めた。気分がいいときに、気分のいい話を書きたい。でも時にはむかつく話やどんよりした話も書いてしまうかも。それでもできるだけ明るく、もしくはばかみたいな形にするよう気を付ける。

第一記なので、今日やったことや最近の仕事についてみたいな小話じゃなくて、自分について思い出したことや考えたことを題材にして書いてみようと思う。

 

 

あまり急ぎでも重要でも楽しくもない仕事をしているとき、私の思考は宇宙へ飛ぶ。手元はオートモードで動いているだけで、意識はほとんど及んでいない。では何を考えているかというと、自分自身のことや、週末の予定や、美容院の予約タイミングなどである。一つ目のテーマ、「自分自身」について考えていたときのことを綴る。

私はあまり良い人ではなんじゃないかという懐疑から、このもやもやはスタートした。(この懐疑がどこから来たのかはもう思い出せない。)

生れたときはどうだったんだろうと思い、自分の中の一番古い記憶を呼び出す。そして小さいころ一番好きだったアニメが、アンパンマンシリーズの社会のマナーを学ぶためのビデオだったことを思い出した。

スーパーマーケットでばいきんまんドキンちゃんエスカレーターを逆走したり、試食を食い漁ったりと好き放題振る舞う。アンパンマンからの注意に耳を貸さなかった彼ら菌類は、エスカレーターから転げ落ちたり試食で火傷を負ったりと不運な目に遭いやっつけられるという内容(だったはず)。「マナーを守らないとこんな目に遭うよ」という教訓が明示された作品である。

しかし私を魅了したポイントは決して「マナーを守ること=正義 が マナー違反=悪 をやっつける」ところではなく、マナーを犯しまくるばいきんまんたちの自由奔放さだった。彼らがエスカレーターを逆走する姿はとても朗らかで、人生に一度はやってみたいアトラクションだと、幼き私はわくわくしたものだ。試食を腹いっぱい食べるのも手に届きそうで届かない夢であり、ばいきんまんたちのノリのポップさにも後押しされて「なんか楽しそう」という印象を残した。

スーパーマーケットをめいっぱい楽しむばいきんまんに注意して、私のワクワクに水を差すアンパンマンに「うるせえよ」と思った私が、清き善の心を持つ聖人賢者の生まれでないことは明らか。決して悪人ではないと自負しているし、ちょうどいい加減の良い人でありたいと願っているから、じゃあ何なんだと言ったら、マイルドヤンキーという言葉が適当かもなと思った。