目的地に着いたら

目的地の駅についたら、まず宿に向かった。

数年前同じ宿に泊まったことがあり、ここはまたゆっくり来なければいけないと思って、今回の再来に至る。相変わらず美しい建物。

玄関に入ると、天井近くにある窓から注ぐ白い日光だけが頼りの薄暗い廊下の先で、先客?のおじさんとここのお母さんが話をしていた。黒い木製の壁や床に反射する日光が、ほんの少し廊下に明るさを加えている。この光景は写真には撮っていないけど、一生頭に残って、ある音楽を聴いたときにまた思い出すと思う。

 

 

私は荷物を預け、地図をもらって冒険に出発。

といっても、18:00で依頼してしまったチェックイン時間まで4時間ほどあり、この小さくて古風な町をどう探索しようかと思案した。とりあえず喫茶店で本を読もう。ここには喫茶店が数件あり、グーグルマップで様子を見るとどこも素敵。町の奥のほうにあるところが気になったので、8分程の道のりを歩いていく。

目指している喫茶店がそろそろ見えてくるかな、というときに、建物の前に行列が見えた。行きたかった喫茶店に人が並んでいると勘違いし、道を戻って別のお店に行こうと思ったが、よく見るとその人だかりは何かの撮影だった。有名な女優さんが、浴衣姿でカメラに向かって話している。ここに映りこんでは秘密のひとり旅が世に晒されてしまうと危惧し、速足でそこを通り抜けた。

 

お目当ての喫茶店には2組の先客がいた。席には余裕があるように見えたので、予定通りここで休憩することに。

ひとり旅の問題点で、最も深刻なもののうちのひとつがこれ。飲食店に入りづらい。入ったところで席に困る。喫茶店だと長いカウンター席が用意されていることもあるので気にならないことが多いのだが、ここには複数人用の席しかない。4人用テーブルに座るのは忍びないので、通りに面した二人用カウンターに座った。

目の前はガラス張りの広い窓なので、通りを歩く人が見え、当然あちらからも私が見える。どんな風に見られているのか気になって仕方なくなるのは私の悪い癖。私のこの旅は人に見せるためのものじゃなくて、全部自分のためのものなんだ、ダイジョブダイジョブ!と自分を鼓舞してなんとかリラックスするよう努めた。

店の入り口で店内を見渡した時には充分な空席があるように見えたが、よくよく観察すると喫茶店は4組しか入れない構造になっていた。私が入った後立て続けに二組入ってきて、後から来たカップルは席を取れず出て行った。一人客はこういう時肩身が狭い。一人で二人用のコーナーにいることにどうしても罪悪感を抱いてしまって本に集中できない。注文したケーキを食べ終わるとすぐに店を出た。別に誰から責められてるでもないんだから好きなだけいれば良かったのかもしれないけど、どうしても落ち着かなかった。

 

本当は喫茶店で1時間くらい過ごしたかったのだが30分ほどしか潰せなかったので、残りの3時間強は町を散策することにした。

まず、目についた大きな木工芸品店でお箸を探した。朱塗りの軸に、螺鈿できらきらの模様がついているお箸に一目惚れ。お箸を留めている「伝統手作り」と書いた紙も素敵なのだ。今は包装から出さずに鑑賞用として机に飾ってある。最近これと似たような箸を近所の商業ビルで見かけてアラマアと思った。

その店のお兄さんに極細箸をおすすめされて、それは実用用に購入。それからお兄さんがおまけで「檜」と書いたお箸を2膳くれた。極細箸は手触りがよいため気に入っており、毎日使っていたら先端が欠けてしまったが(ほうれんそうのお浸しを食べているときに箸を噛んでしまったのが悪い)、それでもまだ使い続けている。檜箸は、お兄さんに勧められた通り麺類を食べるのに使っている。

 

 

引き続きお土産を探して、素敵な木造家屋の店々をまわる。

 

町の煎餅屋で、一袋4枚入り800円超を3袋と、1枚パック250円を二袋買った。なぜこんな高級煎餅を14枚も買ったかと言うと、それはもう見た目がとてもとてもおいしそうだったからだ。煎餅は手を広げたときくらいの大きさで、分厚く塗られた味噌がつやつやしている。目から味噌の味が伝わってくるくらい、濃厚で香ばしく、しっとりしている。帰宅後母と一緒に食べたのだが、見た目通りの味。つまりとてもとてもおいしいということ。これは世界で一番うまい煎餅。布教用にもっと買えばよかった。

 

小さい町なので、お土産屋巡りだけで気づけば町を2周している。

中央通りの二往復目で、どこからか鈴の音が聞こえた。振り返ると、赤いランドセルをしょった女の子が縁石の上を歩いていた。小学校4,5年生くらいだろうか。ポニーテールを揺らしながら、楽しそうにあちらこちらふらふらと、ゆっくり歩く私を追い越して進む。彼女は時々、花が咲いているプランターの前で立ち止まったり、たぬきの置物の前でしゃがんだりする。彼女が動くたびに、鈴の音が聞こえる。音は彼女から鳴っているのだ。鈴の音はだんだん遠くなり、少女の姿もどこかの路地に隠れたのか、いつの間にか見えなくなった。

このことを宿のお兄さんに話すと、鈴はきっと熊除けだよ、小学校の裏にクマが出て休校になったこともあったからね、と教えてくれた。この神秘的な鈴少女の謎が解けてしまった。

 

 

観光名所らしいものも全部見て、神社にもお参りして、さあもうこの町でできることはやりきったぞ、ということで、最後の手、森の中までの散歩を決行した。森の中に古く美しい道があるのを、私は知っている。時間はまだまだあるので、町から古道に続く坂をゆっくり上っていく。

ようやく石畳の綺麗な森の中の道に着いたのだが、人気が全くない。虫の音と森の音がさわさわいうだけだ。あんなに気持ちのいいひとり空間はほかにないと思われる程、ずっと遠くまで、鳥以外の動物は私だけのような気がした。あっという間に日も暮れてきて、曇っていた空からさらに光が失われていく。真っ暗になったら怖いけど、これくらいならへっちゃら。ベンチでもあればここで座って本を読めるのになあと思いながら、森林浴を楽しむ。

ふと腕に虫の気配がして目線をやると、でかい蚊がとまっている。ぎょっとして払うが、こうなると全身に虫の気配がしてくる。髪を結んでいるので、首元がノーガード。危ない。あんなエイリアンみたいな蚊に自由に血を吸われていたら失血死してしまう。それにあの図体。どんな強力な毒を内蔵しているかわからない。山道をすでに20分ほど歩いているのでもう手遅れだろうが、慌てて山を下りる。その間も絶え間なく攻撃を仕掛けてくる小型ドローン。潰してもこんな山の中じゃきりがないので手で払ってしのぐ。

この森では私がエイリアンなのだ。森の防衛隊に私はまんまと追い返されてしまった。