宿

チェックインにはまだちょっと早いが、宿に向かう。

前とは違うお部屋。ひとりにぴったりなサイズ感の和室だった。窓からはこの宿のちいさなお庭や、周りの背の低い家々、そして奥には黒い山が見えた。ここに書生としてわたくしめを置いてくれないかしら。

 

宿に着いたらすぐ夜ご飯に呼ばれた。

一階の食堂には、この日私のほかに泊っていた1組、70代のご夫婦がいらっしゃった。大学教授でもやっていそうな品格のあるおじさまと、スポーティーな格好の溌剌とした奥さま。お二方とも私の母より体力がありそうで、若々しく見えたから「大学時代は大学紛争で半分くらいしか学校に行けなかった」という話を聞いて驚いた。三島由紀夫時代の方々なのか。

宿のお母さんから「私はよくテレビで見てましたよ、大変そうでしたねえ。あなたは若いから知らないでしょう、学生紛争なんて。」と声をかけられたが、村上春樹三島由紀夫を読んでいたおかげで少しばかりはわかる。「知っていますよ、バリケード作るやつですよね」「そうそう、当時は催涙弾くらって目が痛くなったり、銀座の道路の舗装を剥がして警察に投げつけているのを見たりしましたよ。私は東京の大学に行っていて、その時同じ大学にこの人がいたんですよ」と奥さん。そんな混沌とした大学時代に出会った旦那さんと、今一緒にハイキングしたりしていることがとても素敵で、浪漫だなあと思った。

私の母も短期女子大にしか行けなかったのに、さらに20年も先輩の奥さんが東京の大学に出ていたなんて。きっと奥さんは特別に優秀な方なのだろう。

このご夫婦とは何かご縁があるみたいで、この町を出る直前にお参りした神社で会い、その翌日は別の町でもばったり会った。ご縁は不思議なものだから、またどこかで出会うかもしれない。

 

前回と同じくたくさんの料理をふるまってもらい、美味しい馬刺しやてんぷらなどをもぐもぐしながら宿のお母さんとおしゃべりをした。なんでこのあたりに来たのか、前回はどんな旅だったか、明日はどこに行くのか。息子が詳しいはずだから、帰ってきたら話を聞くといいよ、と。

細かくは忘れてしまったが、いろいろなことをゆったりと、リラックスしてしゃべった。心のどこかにあった寂しさが溶ける。ここのお宿の宝はこの温かい、素敵なお母さんだ。

 

 

この日、夜22時ごろ雨が降り始めた。

 

明日川に行く予定だけど大丈夫かなあ、水害とか起こらなければいいけど、緊張して全然寝れないなあなんて考えていたら、23時ごろには雨音がバアーッという恐ろしい音になった。これはもう雨音じゃない。1000個の和太鼓を家の周り、そして屋根上で鳴らされている。雨が天井を突き破ってくると思った。
5分くらい同じ状況が続いたので、無事に家に帰ることは諦めた。もうこれは近くの川から水が出て、この町ごと流されるのだ、家同士がくっついたまま船のように激流を下り海に出て、海上宿場町として新たな生活が始まるのだと夢想した。

しかし15分もすると酷い音は収まって、パラパラという普通の雨に戻った。でも廊下側上方から変な音がしている。何かがリズミカルに落ちてバタン、という音。怖いなあと思っていたがいつのまにか眠ってしまった。

 

6時半、早めの起床。昨日雨が降ったと思えないほどきれいな朝だった。怖い川の音もしない。部屋の窓を開けると涼しい風が入ってくる。朝日に照らされた木造の町が見えた。

理想的な和朝食を食堂で食べ、身支度をする。私、今日いい一日を始めたなと思った。

 

 

電車の時間まであと40分、宿のお母さんにおすすめされた杉並木を見に行った。町を出てしまった時、ここから出て行かなきゃいけないのかととても悲しくなった。本当に行かなきゃだめ?うん、行かないといけない。この繰り返し。

行かないといけない、と心の中で言いながら、杉並木への坂道を登る。お母さんが言っていた杉並木は、森の端の中の神社にあった。階段の上に見える鳥居に向かって登っていると、一緒の宿に泊まっていたあのご夫婦が降りてきた。今日は天気がいいですね、暑いですね、と挨拶。地蔵はあちらですよ、と小道を指して教えてくれた。

 

帰らなきゃいけないからこそより魅力的に感じられる特別な体験なんだ、この生活と環境が当たり前になったら怖いぞと、もう帰りたくない幼い自分に言い聞かせた。