パプリカの映画

パプリカを観た。

 

 

大塚さんと林原さんだ、というのが第一感想。

 

映画の始まりが怖くて、小学生の頃苦手だったタイプの映像だなと思った。
人間や人形の顔の造形や目の動きなどが、理由は言葉にできないけれどなんか怖い。カメラアングルまで怖さに加担しているような気がする。

小学校に上がっても感覚的に怖いものが苦手で、「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」さえ怖くて観れなかった。「千と千尋」は豚と蛙と手脚が生えたカオナシが、「もののけ姫」はアシタカの腕の中で蠢く何かと弓矢で飛んだ首と木霊が(木霊の登場で脱落したためその先は不明)私の中の特級恐怖警報をワンワンならした。いかなる種類の血やサスペンス、そして生物の不気味な表情に耐えられないのだ。その頃のトラウマ的な表情や動きは今でも折に触れて鮮明に蘇る。

感覚的に怖いと思わせる人間の動きって不思議。私の場合、幽霊や怪物にあるような怖さよりも、人体(や人型の何か)が作り出す奇怪な表情や仕草の方がより強烈に恐怖を煽ってくる。これは小さな頃から変わらない。ホラーもサイコスリラーも観ているはずのない幼少期から苦手ということは、この恐怖は「こういう表情をする人間は恐ろしいことをするんだ」という経験値からきているのではなく、本能的なセンサーの働きによるものなのかもしれない。
本能が「コイツやべえ怖え」と認識する、その意図は何だろう?自分の身を守るのに必要な機能のはずだけど、おじいちゃん研究員の恍惚とした表情や日本人形の目がぎょろっと回ってこっちを見ることを怖いと思う=自分を脅かすものだと認識する人間の脳って不思議。

長々と恐怖について語ってしまったけど、何が言いたかったかというと、感覚的な怖さがふんだんに利用された刺激的な映画だったということ。

 

 

誰かがこの映画を「インフルに罹った時に見る夢みたい」と言っていたような記憶がある。夢みたい、というか夢の映画である。

この映画における悪夢は遥か遠い地獄のような暗さや身体的な痛みを思わせるものはない。むしろ太陽光が照っている和やかな自然や街の中で、家電や様々な装飾品(信楽焼のたぬきや招き猫、ドール)や蛙などの身近なモチーフたちが朗らかにパレードしている明るいものだ。クレイジーを詰め込んだような悪夢。これがある精神病の状態だということなのか。

私もコロナ禍真最中にはまあまあ精神を病んでいたが、こんな「楽しすぎて逆に怖い」みたいな状態じゃなく、ネガティブ一色の、もっとじわじわと毒のように暗さが侵食していって日毎に心が黒くなっていくようなものだった(落ち込むというよりはどんどん性格が悪くなっていき生きとし生けるものに中指を立てるような中二病的鬱で、今思えばコミカルなものだった)。多分私のは単なる鬱で、この映画に出てくる病は躁鬱とか薬中とかのまた別なものなのかもしれない。

 

絵の美しさは私の期待を越えてきた。期待値もとても高かったから、それを越えることは想像もしていなかった。

この映画は夢を舞台にしているので、背景がコロコロ変わる。サーカスの舞台上だと思ったら電車の中、気づけば研究室、今度は森の中。廃墟や人体の中にもカメラは入っていく。そのどれもに心ときめく美しさがある。

2006年上映開始したとのことで、もう15年以上前の作品になる。今のようになんでもデジタルで作業の簡略化ができなかった時代に、手描きでこれだけ密度が高く美しい画を作り上げたクリエイターたちに感嘆の意を表すると同時に、彼らの労働環境のことも考えざるを得なかった。今更勝手に心配することに意味はないが、たっぷりの製作期間と潤沢な制作費があったこと、または後に大活躍するきっかけになったことを願わずにはいられない。

 

 

ストーリーの考察には全く意識が及んでいなくて、裏の意味や作家のメッセージをあえて探ったりせず、画面いっぱいに広がる夢から感覚的な刺激を受けた映画鑑賞でした。