夏に尾道

この夏は、尾道に行ってきた。広島発上陸。

 

なぜ尾道かと言われても、特に理由はない。
強いて言えば、森見氏の怪談的小説「夜行」を再読して尾道への憧れが増したからだが、尾道はできれば秋が深まった頃に行きたかった。
夏は秋田に行きたかった、本当は。尾道行が決定したのは、色んな事情が重なった結果だった。

 

 

尾道1日目。

 

体内時計の狂いを治せないまま旅の日を迎えてしまったのであまり眠れていなかったのと、ツレと洗面台を使うタイミングが被ったので朝はちょっと不機嫌だった。
この頃は旅行が身近なものになりすぎてしまって、アドレナリンがあまり出ないのでなんでも「旅行だからね!」と穏便に済ますことができなくなってきている。私の小さな小さな器から「旅行だからって私の邪魔をしたら許さないからね!」な心持ちが漏れてしまわないように気を付けた。

 

事前に買っておいた新幹線の切符で、特にトラブルなく広島に到着。道中は森見氏の「夜行」を開き、尾道が舞台の怪談を読んで頭を冷やしておいた。

尾道に向かうローカル線から見える景色は素敵なものだった。
電車は山の斜面を走っていく。左手には遠くの方に海がうっすら見え、眼下には民家や藪が広がる。右手は草木が生い茂る急斜面だったり、山の側面に敷かれた墓地だったりした。

 

尾道に着いたら荷物を駅のロッカーに預け、まずは昼ご飯を食べに行く。
この日は白のトップスを着ていたためラーメン以外がいい。そしてローカル感のあるものを食べたい。ということで、地元の方がやっているお好み焼き屋さんに行くことにした。

大きな商店街の隣の路地にある、一枚の鉄板を囲った6席だけのお店。先客の二人と、後から来た地元民ひとりで店はあっという間にいっぱいになった。
私たちは尾道焼と豚玉を注文。尾道焼というのは、広島風お好み焼きの上にイカ天と砂肝をトッピングしたもの。なぜ海鮮と鳥、その中でもイカと砂肝というコンビがこの地域で定着したのだろう。イカ天のしょっぱさと香ばしさ、砂肝の食感で食べ応え満点のご当地グルメだった。
店主は上品な広島弁を話す親切なおばさまで、おすすめ観光スポットや食事処を教えてくれた。

私にとって広島弁はやくざのイメージが強かった。有名ゲームの影響もあるだろうが、私の場合は間違いなく大学時代の友人が私に広島弁の悪い印象を植え付けたのだ。彼は機嫌が悪いときに広島弁を使う癖があった。方言がつい出てしまうのではなく、あえて選んで使うのだ。気に入らない同期や先輩に対して「あいつはそういうところがあるけえ嫌いなんじゃ!アホが!」と切れ散らかしていた姿をよく覚えている。私はそれを眺めながら、私も広島弁でキレてみたいな~きっと気持ちいいんだろうな~と思ったりしていた。しかし今、あれを広島人の代表にしてはいけなかったと、本物の広島人たちが穏やかに談笑するのを見て反省した。

 

一日目はほぼ移動に時間を使うことになるので観光はあまりできないかなと思っていたけど、旅初日の迸る元気とテンションでメインの観光スポットは大体周れた。

尾道といえば、山の斜面に並び立つ民家、廃屋、神社仏閣。それらを縫いつなぐように、不規則に張り巡らされている坂道。
マップ上は道が示されているし、確かに道の面影はあるのだが、草木が生い茂っていて道としての機能が数年前に失われているようなところもあり、マップは現在位置以外役に立たない。だからとにかく適当に歩いてみて、見かけたお寺にお参りしたり、カフェを覗いてみたりするしかない。
のぼったりおりたりしながら山をあてもなくさ迷い歩くのは冒険のような楽しさもあったが、平日は一日数十歩しか歩かない引きこもりにとってはあまりに過酷な運動だった。とにかく前に進むこと(目的地はないのに)と、チェックインの時間に間に合う範囲で動きまわることしか頭になく、この生活しづらそうな町の不思議や景色の美しさに想いを馳せる余裕はなかった。体力って大事。

 

斜面の街をうろついていると、「猫の細道」に行き当たった。

それまでは民家や藪、学校のような施設ばかりで、地面の傾きをなくせば関東郊外の住宅街に廃屋を少々加えたような、目に馴染みのある町並みだった。しかしこの細道だけは異様な雰囲気を放っていた。ここだけ森の面影を残していて、背の高い木が道の両脇に茂っているので薄暗い。光があまり入らず、木や家がトンネルのように道を覆っていると、それだけで異世界の感じがする。この不思議な場所は、植物の旺盛な生命力と、逃げ場のない草いきれに漂う無数の虫の気配で満ちていた。ここで刺された4か所が、あれから既に5日経っているというのに腕の血管の上に赤い跡を残している。

猫の細道を進んで角を曲がると、突き当りには柵が立てられ、その向こうは紫のあじさいが咲く庭になっていた。庭の奥には背の高い木造家屋が建っている。ジブリの世界に出てきそうな風景だ。家の広い窓からは、静かにコーヒーを嗜む男女が見える。素敵。
この喫茶店で休憩したいと思ったけど、虫よけスプレー非装備では心細かったので、明日万全を期してまた伺うことにした。

 

 

いったん山を下りて麓のコンビニに行って必要物資をそろえてから、道中見かけた面白そうな道に入っていく。屋根の上に招き猫やらなんやらの置物が載せてあり、木製の家の壁には尾道にゆかりのある映画の紹介ポスターがずらっと貼ってある。
そんなお洒落な電機屋さんの脇を抜けていくと、幅が広くて白っぽい色をした美しい階段がずーっと上まで続いているのが見えた。御袖天満宮である。近々お祭りがあるらしく、参道脇はたくさんの旗で飾られていた。有名かそうじゃないか・写真映えするかどうかより、入り口が冒険心をくすぐるかどうかが、私の旅路を決める。この階段は私を招いていた。
ひいひい言いながら階段を登っていると、上からおじいさんが降りてきた。軽く挨拶すると、この場所は大林監督の「転校生」という映画で使われた場所だと教えてくれた。映画では主人公がこの階段を転げ落ちるそうなのだが、こんな一段一段が高い急斜面で一段でも足を滑らせたらもう海に飛び込むまで止まらないだろうと思われた。

てっぺんに着いたらお参りをして、手作りの木製ベンチで一休みし、また下る。